安達宗治 のバックアップ(No.1)


安達宗治(あだち・むねはる)(1461-1532)は、首州広奈国後期の諸侯・政治家。安達政権の祖。
~宗治は、始め海西地方の小諸侯であり、大諸侯 今原氏の傘下に入って周辺諸侯と戦っていた。

興徳帝の崩御後、癸卯の変(きぼうのへん)で帝位継承騒動が起こると、都を逐われた皇太子(後の天啓帝)が、母の実家である今原氏を頼るが、当主 今原具行(いまばら・ともゆき)は皇太子(後の天啓帝)を即位させると、入京軍を起こし詮邦皇子方を破って再び帝位を統一、花岡同盟を再興する。
~この時、宗治も入京軍に従っていたが、今原氏の本領が手薄になっているのを見て、美好重時をそそのかして今原領の南半を奪わせると、自身も所領を広げ、以後、美好氏に従って今原氏と戦う。

その後、叔母が嫁いでいた南家に弟を養子に送り込んで当主にすることに成功、優秀な水上戦力を手に入れるなど勢力を一層拡大、また今原具行の薨去後、後を継いだ今原具尚(いまばら・ともひさ)が伴瀬の戦いで美好方に大敗すると、川上氏を説き伏せて今原方から美好方へ鞍替えさせるなど活躍した。

美好重時の逝去により美好家の勢力が一時劣勢に立たされた際も、砂岡の地へ今原軍を誘い込んで鉄砲を有効活用して大破し、劣勢を覆した。今原家は砂岡での惨敗で、多くの名将を失い一気に衰退する。

その後、今原家を滅ぼし海西を統一した美好重直に従って、花岡同盟方と戦い、鶴見の戦いでも鉄砲を使った攻撃で効果をあげ、美好方を勝利に導いた。

馬淵頼忠の謀反によって美好重直が討たれると、宗治は頼忠を破って仇討ちを成功させ、一躍、美好家内の最大勢力となる。宗治は、さらに美好家内で敵対する有間博久を滅ぼして、美好家の全権を掌握、続いて、美好国重を追放して美好家に取って代わった。

並行して、母の実家である大諸侯 北家の家督継承騒動に介入、弟を北家の当主にするべく、対立する河本詮尊と争う。これは十年にわたる抗争となったが、結局、優位な条件で和睦に至る。

亜州への遠征は失敗に終わったが、直後の海陽征伐では成功を収め、一層強大化した宗治は、皇太弟を廃された詮晴皇子を奉じて入京軍を起こし、敵対する詮秀皇子派を破って、詮晴皇子を即位させた(章仁帝)。

章仁帝を奉じて天下人となった宗治は、反対勢力である一条氏や河本氏を破って降伏させ、名島の乱以来、分裂していた広奈国を統一する。

太政大臣となって、兵能分離・検地などで、新しい封建制を確立しはじめ、准三宮の栄典をもあたえられ、また章仁帝と自身の娘の間に生まれた詮貴皇子を皇太子とすることに成功した。

ところが、太政大臣位を譲った嫡男 元治が自身より先に薨去することになる。章仁帝が崩御すると、詮貴皇子が即位し、ついに外戚となることに成功したが、翌年、薨去した。嫡孫 正治の器量を最後まで危ぶんでいた。

能力

外交内政統率戦闘智謀教養魅力
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